・読み終えた!まさかの完結してた。寂しい。
でもラストまで面白かったな。
・友だちとも話してたけど、2号と寝てしまった後の主人公の「すり減る」という感覚がものすごくよくわかる。
さすがはノンフィクション作家の東村アキコ先生である。(フィクションです)
「減るもんじゃなし」というが、減るんだよな、と思う。
年取ってから顕著にわかるようになるのは、その何かの総数が減っているからかもしれない。
年取ってからの方がいい化粧水の違いがよくわかるように。
・アウトレットデートの時に、健気にがんばる主人公の令菜を見て、
「恋に落ちない1号の気持ちもわかる…。私だって森田の方が好きだもんな…」
と何気なく思った瞬間に1号が森田ルートに落ちて、「えええ」となった。
・忘れないうちに爆笑したところを書きたいのだが、令菜が「踊りましょう」という時に
「ネットフリックスでドラマを観ていた死に時間を生き時間にする時が来た」
あたりの怒涛のタラとレバの責め、めちゃくちゃ笑ってしまった。
面白すぎてちゃんと読んでない。あそこ、A3でコピーして貼っておこうかな。きっと元気出る。
・よしおバーで、一目惚れを夢見る1号に
「男ってどうしようもなくバカなんですよね」
というセリフがあるけど、それは男女ともにそうだと思う。
別に「白馬に乗った王子様が現れる」なんて思ってはいないが、「運命の人とひょんなことで知り合う」くらいのエピソードは、みんな求めてしまうよなと思う。
・最近はモノを売るのにストーリーをつける、というのが主流になっている。
ストーリーはプロダクトに付加価値をつけられ、価格競争、技術競争とは別のところで選んでもらえるかもしれないからだ。
主流になりすぎて「ストーリーのない、ただデザインがいいとかで買いたい」というツイートも見かけたことがあるほどだ。
・だが、恋愛においては、エピソードはあればあるほどいい。
というか、特出したステータスがない多くの人々にとって、それのみが差別化になり得る。みんな、選ぶ理由が、決定打が欲しい。
令菜は、普通のかわいい、いい子である。
選ばれた森田との違いは「靴をサラリとねだった」というエピソードの有無ではないだろうか。
あのエピソードがなければ、1号は落ちていないし、読者も納得しないだろう。
・ちなみに、私の友人の超モテ子は、知り合うきっかけを作るために、スマホをわざと忘れたことがある。
何もしなくてもモテる人がこのような演出の技を使うのだ。世の中は恐ろしい。
エピソードのひとつやふたつを作り上げるのは、恋する相手へのサービスですらあるのかもしれない。
・私が一番きゅんと来たのは、一緒に作戦を練ってくれる男の子の令菜への「僕が大人だったら令菜さんと結婚するのに」という言葉だ。
令菜も「あんな子どもが自分にいたら」というシーンが多くて、二人は本当に気が合ってたんだな、と思った。
もう一回頭から読みたいな。
1号と森田が森田の家でBBQする想像の画もめちゃ良い。
それを心から祝える令菜もマジいい子。幸せになってほしい。
・ただ、2号がわりと悪く書かれていて、令菜としては嫌いになっているのが正しいと思うのだが(精神衛生上)別に悪い人なわけではないと思う。
パスタ作るよ、と誘ってパスタを作らず、やることはやるのって…確かに悪いか。
悪いというか、誠実さが欠けるのはそうだよね。(友だちに電話してる?)
やるならやるで、きちんとする甲斐性が欲しいし、ないならパスタ作るくらいの思いやりか、「クズです」という自覚が欲しい。
・ややこしい時代のややこしい恋愛心理をここまでわかりやすく、面白く描かれてるのはすごい。
読んでない人はぜひ読んで欲しい。
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